こんにちは!
個別指導塾の学習空間静岡東部エリア、長泉教室、裾野教室の佐藤です
今回は近代史の「張作霖爆殺事件」について紹介します。
用語のインパクトが強いので、覚えやすいかも?
そもそも、張作霖とはだれなのか、なぜ殺されたのかみてみましょう。
まず、この事件が起きた中華民国の歴史をざっくり紹介します。
1911年に辛亥革命が起きると、孫文を中心に中華民国が建国されます。
ただ、この国の中心人物である大総統となったのは、孫文ではなく最強の軍隊をもつ袁世凱でした。
彼は自分の権力を強くするために、孫文の仲間を中心に結成された国民党を弾圧し、さらに自ら皇帝に就任しようとします。
また、この頃日本から中国に二十一カ条の要求が出されますが、袁はこれに弱気な対応をします。
国民は袁世凱に反感をもち、国民党や一部の軍隊が反乱を起こしたり、命令を無視するようになります。
そうなると、各地の軍隊が勝手に動き始め、軍閥という自分の国のようなものを各地に作り始めて、軍閥が国内で戦争を始めます。
中華民国は混乱し、10年近くの間に国の指導者はコロコロ変わっていきます。そんな中、日本は中国での利益を得るため、
日本に好意的な軍閥を支援するようになります。
その中で最終的な二大勢力になったのが、北を支配する張作霖と、孫文のあとを継いだ蒋介石を中心とした国民党でした。
日本は日露戦争から南満州鉄道を保有しており、鉄道の利権を失いたくなかった。そのため、鉄道周辺を支配していた張作霖を支援することで、この利権を保護しようとしました。
しかし、南にいた蔣介石は中国を統一するため張作霖などの北の軍閥を倒そうとします。これが北伐です。
そうなると、日本は焦ります。「満州を国民党が手に入れたら、日本の利益が奪われてしまう」と思ったからです。そこで、山東という地域に兵を送り張作霖を支援します(山東出兵)。しかし、国民党は強く、張作霖はしだいに押され始めます。さらに、張作霖は日本には好意的なものの、簡単に日本の言いなりにはなってくれる人物ではありませんでした。
そうなると、日本の軍隊の一部は張作霖を支援することが嫌になってきます。その中で「いっそ張作霖を倒して、満州を日本が直接支配してしまおう」という意見がでてきます。1928年6月、日本軍の一部の部隊は、張作霖が北京から本拠地の満州に撤退するタイミングで、張作霖の列車と満州鉄道が交差したところで爆弾を爆発させて張作霖を暗殺します。これが「張作霖爆殺事件」です。
この事件は日本と中国に大きな影響がありました。
日本軍はこの事件を国民党の仕業に見せかけようとしましたが、ばれてしまい、張作霖のあとを継いだ張学良を激怒させてしまいます。
最終的に彼は対立していた国民党と手を組み、中国は国民党により、ほぼ統一されることになりました。
また、日本でも軍隊による独断行動を許してしまう結果になりました。首相の田中儀一は犯人を厳しく罰することができず、それを批判された田中内閣は総辞職します。政府はだんだん軍をコントロールできなくなり、満州事変、太平洋戦争と突き進むことになりますが、これはまた別のお話。
近代の中国史は難しい時代ですが、日本が戦争へと向かうきっかけにもなる時代なので、しっかり勉強していきましょう。
ちなみに、張作霖は貧しい身から中国北部の指導者になったすごい人なので、調べてみると面白い人です。よければ調べてみてください。
それでは!
※「張作霖爆殺事件」に関しては諸説あります。




















