学習空間・山梨エリア・ガクヨビ、昭和田富教室の皆川です。
連日新型コロナウイルスの感染者数が発表され、「本日の感染者数は0人」「本日の感染者数は10人」などと報道されています。
感染者数ゼロと聞くと少し安堵するような気もしますが、今回は少し違う視点で見てみましょう。
この感染者数というのは、検査(PCR検査や抗原検査)の結果、陽性であった数ですね。
しかし実際には、症状がなくウイルスに感染していることに気がついていない人もいると言われています。
また、何らかの症状があっても「たぶん風邪だろう」と言って検査を受けない人もいるかもしれません。
もしそうだとしたら、実際の感染者数は発表されている数字以上にいることも十分考えられます。
そう考えると、「本日の感染者数は10人」というのは「世の中何人かいる感染している人の中で、検査を受けて陽性が出たのが10人」と言えます。
さらに言い換えれば「世の中に感染している何人かのうち10人を特定しました」ということです。
別の例で言うなら「犯罪組織のメンバーのうち10人を逮捕しました」と同じようなイメージです。
(新型コロナウイルス感染者は犯罪者だということを言いたいのではありません)
すると、感染者ゼロという数字も違った印象になってきます。
つまり「世の中に感染している人はいるだろうが、一人も見つけられませんでした」とも考えられてしまうということです。
逆に言えば、発表された感染者数が多かった場合、それだけ世の中の感染者を特定できているともいえます。
冒頭で言ったように、数字だけ見ると感染者数ゼロというのは安心したくなりますが、上述のように見方を変えると一転不安な気持ちにもなります。
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昨今「多様性」について議論されることが多くありますね。
「多様性を認めるべき」という意見について自分の考えを書け、と言われれば「賛成」の立場で書く人が多いのではないでしょうか。
そもそも「多様性」とは何でしょうか。
goo辞書によると「いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと」とあります。
つまり「多様性を認める」とは、簡単に言えば「様々な考え方を認める」ことになるでしょう。
では「多様性を認めるべき」という意見が多数を占めたときどういったことが起こるか。
「多様性を認めない」人を責めたり、排除したりする人が出てくるでしょう。
これは「様々な考え方を認める」ことと矛盾していることに気がつきませんか?
多様性を認める人しかいなくなった世界は、それはもう画一的な社会ではないでしょうか。
「多様性」とは、多様性を認める人も認めない人もいて多様であるのです。
似たような問題に「寛容のパラドクス」というのがあります。
気になる方は「寛容のパラドクス」や「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」で検索してみてください。
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新型コロナウイルスの感染者数と多様性についてお話しましたが、このような考え方は、小論文を書く際なんかに求められる力ですね。
言葉の表面だけを読むのではなく、前提や本質を深く考えることで、違った見え方や解決策が浮かんだりします。
これをCritical Thinkingなどと呼んだりもします。
何が正しいのかということではなく、物事に対して色々な視点から考えることが大切ですね。