日本の歴史。
「自由民権運動」がでてきますね。
ことばも、なんか難しい。
わかりやすくいきますよ。
単純化しすぎて、
説明不足かと思います。
しかし、
中学生むけにシンプルにしてます。
ですのでご容赦ください。
【自由民権運動】
明治時代初期(1870年代〜1880年代)に起こった、日本の民主化運動。
ポイントは、
日本の民主主義の出発点。
そんな運動だった。
「民主主義」とは、
王様とかの独裁ではなく
「国民」が国のことを決める権利を持つ!
という考え方ですね。

運動はなぜ起きた?
明治維新後、
政府は薩摩・長州など一部の藩の人たちが独占していた。これに対し、不満がでた。
「江戸幕府を倒したけど、
結局は独裁ぽくなってるやん!」
ってなった。
てことですね。
自由民権運動での主な要求:
•国会の開設(議会制度の確立)
•憲法の制定
•言論・集会の自由
•地租(土地税)の軽減中心人物:
板垣退助、後藤象二郎など。
1874年に板垣らが「民選議院設立建白書」を政府に提出。
国会をつくる。
憲法をつくる。
このあたり、
民主主義の国には
絶対的に必要ですよね。
全国で政治結社が作られ、
「自由党」や「立憲改進党」などの政党が結成された。
現代にもある「自由民主党」など。
「政党」は、この自由民権運動によって作られたんですね。
結果:
政府は弾圧しつつも、
1889年に大日本帝国憲法を発布。
1890年に帝国議会を開設。限定的ながら立憲制が実現した。
そして
憲法がついにできて、
議会が作られたんですね。
「立憲制」とは、
「法律が最強」という考え方です。
法律が最強なので、
独裁者の暴走が不可能になりす。
民主主義には必須の制度ですね。
政府による専制政治から、
国民参加の政治へ。

さあ、その後の話しです。
ご存知の通り、
日本は悲しい運命をたどります。
【自由民権運動】
民主主義の「芽」は作ったが、
成長前に時代に押しつぶされた
え、どゆこと?
✦自由民権運動
→ 日本に民主主義の「基礎」を作った
→ 国会と憲法の成立につながった✦ しかしその後
•国家の強化を優先
•軍部が台頭
•戦争で軍の評価が上がる
•世界恐慌で政治への不信が爆発→ 結果、民主主義は成長しきれず崩壊。
憲法はできた。
議会もできた。
しかし、不完全だった。
てこと。
大日本帝国憲法(戦前)→天皇主権
日本国憲法(戦後)→国民主権
これ習いますよね。
大日本帝国憲法は、
結局主権が天皇にあったので
真の民主主義が成熟しなかったわけです。
その後、
欧米列強に対抗するためには、
国を強くするしか生き残れない。
結果的に
軍が国を支配していき、
戦争へと突き進んだのでした…

最後に。
近代のアジアは、
欧米により植民地にされるかされないかの戦いだった。
おそらく明治維新がなければ、
日本も…
てとこだったと思います。
なぜなら、
もし江戸幕府が続いてたら…
日本刀でロシアのバルチック艦隊に立ち向かうことになってたかも知れません。
※ちなみにタイは、
「ムエタイ」が強すぎて他国が恐れ、欧米による植民地化をまぬがれた。というのはネタですが、半分信じてます。
サガットみたいなのいたら、
絶対勝てないですからね。
まとめ:
自由民権運動。
間違いなく、日本の民主主義の出発点。
しかし、不完全だった。
ただ、
「日本をよりよい近代国家にしよう」
「世界に誇れる素晴らしい国にしよう」
先人のそんな思いが詰まった、
試行錯誤がそこにあった。
そう思います。
歴史を振り返ると、
「あの選択は間違ってた」。
多くありますよね。
しかし、当時の代表者たちは、
国を存続させ、
国を繁栄させるには。
そこを必死で考え、判断。
必死に最善の選択をとっていったのは、
間違いないと思います。
終わります
posted by本橋
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