「勉強が得意な子」と
「苦手な子」。
能力の差ではなく、
「思考の習慣の差」があるなあ。
と感じます。
その鍵を握るのが、
「構造を知る」という視点です。
何かを「学ぶ」ということは、
「構造を知る」ということだと思います。
だからこそ、
「勉強が苦手」な子は
「構造を知る(考える)のが苦手」なだけ。
と感じます。
要するに、
「木を見て森を見ず」の状態になってしまっている。
そして
それが「習慣化」してしまっていて、
「森を見ようとしない」から
「構造」が永遠にわからない。
構造を知らないと、勉強はただの「カオス」
例えば「英語」。
英語は、「構造」がわからないと
さっぱり分かりません。
ただ単語がただ並んでる、
「カオス(混沌)」です。
💡英語の構造を意識するということ
そこに「主語」と「動詞」、
そして「目的語」など、
言葉が並ぶルール=構造
を正しく学習していく。
そうすることで、
英語の習得は非常に簡単になっていきます。
「歴史」とかも同じ。
歴史を「覚えることが無限にある、地獄科目」に感じてる子。いますよね。
源頼朝だ、
守護だ地頭だ、
聖武天皇だ、
足利義満だ……。
これらを片っぱしから丸暗記していく。
ーーただの地獄ですよね。
歴史の「森」を見抜く
しかし
歴史の本質的な「構造」に目を向けると、
見え方は変わります。
-
★
公家政権 ➔ 武家政権 への権力移行 -
★
朝廷 VS 幕府 という対立の構図。
(日本の歴史って、ひたすらこれ)
などなど。
こうした大きな「構造」を見抜くことで、楽になります。
これこそが「勉強」。

「抽象化」という思考習慣
総じて、
勉強が苦手な子は、幼少期から「構造を見抜く」「構造を考える」という思考習慣が積み上がってない。
そう感じます。
「抽象化する習慣」とも言えるもの。
だから「能力」の問題ではなく、
「習慣」の問題が大きい。と感じます。
逆に言うと、
「勉強が得意」な子は、
「木を見ても、常に森を把握しようとする」
その習慣が自然と身についてる。
と言えますね。
つまり、
何か新しいものを見た時、
「これってどういう構造(仕組み)なんだろう?」
常に考える習慣がついている。
その積み重ねがあるから、
新しいものに出会っても、
「ああ、この(あの)パターンね。はいはい」
「パターン化」(構造化)して、
スラスラ理解できる。
てわけです。
「構造の把握」は勉強だけではない
この能力は、
人生のあらゆる場面で大切だと思います。
①ゲームの上達スピード
例えばゲームをやっても、
「構造」や「仕組み(システム)」をすぐに見抜く人は、すぐうまくなるはず。
②メンタルコントロール(自分の感情)
また、「自分の感情」のコントロールにも、このメタ視点が活きるはずです。
「自分はこういう時に、
こんな感情になりやすいな」
「あ、今自分はこういう理由で、
こんな感情になってるな」
このように、
自分の感情を客観視し、感情の「構造」を知って冷静に見抜くこと。
それができれば、
感情に流されることはなくなります。
人類の進化は「構造を知るための悪戦苦闘」だった
この世の中、
「構造」がわからなければカオス(わけのわからん事)ばかりです。
人類の歴史は、
この世界の「構造」を知るための悪戦苦闘の歴史だった。と言えます。
- 「海の果てはどうなっているんだ?」
➔ 知りたい情熱が大航海時代へ。 - 「宇宙はどうなっているんだ?」
➔ 望遠鏡を開発・観測。
ついには人を宇宙へ送り出す。
四季がある。
地球は丸い。しかも回転してる。
数学における解の公式、そして円周率。
魚のエラ呼吸の仕組み、
植物が光合成を行うシステム……。
などなどなどなど。
人類は「構造」を見抜くことで、
進化・発展してきました。
まとめ:
「ただの暗記」は勉強ではない。
日常から「考える習慣」を
目の前にあることを、
手当たり次第に
「なにも考えず」、「ただ覚える」。
これは「勉強」とは言えないですよね。
「構造を見抜く。
そして、思考する。」
その習慣こそが、
あらゆる物事が「できるようになる」ための必須条件。
それは決して「勉強」だけではなく、
普段の生活、目の前にある日常に「なぜ?」と目を向けることから、すべては始まります。
目の前の「森」を見渡す習慣、
つけていきましょう。
posted by本橋
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