個別指導塾の学習空間、静岡エリア長泉教室のモチヅキです!
仏教の教えに「無常観」というものがあります。
「世の儚さ」を表現したものですが、徒然草の中で、吉田兼好がこう語っています。
「人間がせっせとやっていることを見ると、まるで春の暖かい日に、雪だるまを作り、
その雪だるまのために金銀珠玉の装飾品を集めたり、堂を建てようとするのに似ている。
果たして、その堂ができあがってから、雪だるまを中へ安置することができるだろうか。
いや、すぐに解けてしまうから、できるはずがない。
人は誰でも、「自分の寿命はまだまだある」と思っているが、
実際には、雪だるまが解けていくように日々刻々と縮まっているのだ。
それなのに、あれもしたい、これもしたいと、非常に多くのことを計画し、
成就する日を待ち望んでいるのは、雪だるまのために堂をたてようとしているのと同じではないか。
その願いがかなう前に、自分の命が尽きてしまうのだ。」
(第百六十六段)
「光陰矢のごとし」と云われるように、時は我々を待つことなく容赦なく流れていきます。
正月を迎えてのんびり餅を食べていたと思っていると、あっというまに年末です。
まだ、1年生だから受験なんて先のことと思っていると、あっという間に受験生です。
地球より重いと云われる我々の命は、1秒1秒が取り返しのつかない価値を持ちます。
でも、まるで無限に生きられるかのように錯覚して、貴重な日々をやり過ごしてしまいがちです。
「目の前のことばかりに追われて、気がついたら、人生の黄昏時になっていた。」
なんてことは避けたいものです。
もし、我々が兼好法師の云うように
「解けゆく春の雪だるまのために、人生を浪費している」としたら、、、。
そんな儚く消えゆくもののために生きているなんて、とても切ないことです。
昨年の大震災では、それまで築き上げてきたものが一瞬のうちに消え去りました。
もし、そういったものに執着していたのならば、この先、何を信じて生きていけばよいのでしょう。
我々に残された時間は、まだまだたっぷりあると思うと、時間を無駄にしてしまいます。
残された時間は「わずか」という前提にたてば、意識が変わってくると思います。
過ぎゆく人生の中で、今一番になすべきことは何か。
本当の「人生の目的」を考えることの重要性を仏教や兼好法師は訴えかけています。
年初から重いテーマですが、真剣に向き合うことで、新しい価値観が生まれるかもしれません。