でも木はそれでうれしかった

個別指導塾の学習空間、長泉教室の望月です★

大学時代、ゼミの教授からシルヴァスタイン作の
「大きな木」という絵本を紹介されました。

普段は難解な法律論を唱えている教授だったので、
「ん?絵本?」
と最初は訝しがりましたが、読んでみると、その作品は
その後の私の人生に大きな影響を与えるほど素晴らしい作品でした。

その内容は、シンプルですがとても奥が深いです。

1本のりんごの木がある。その木はある子どもと大の仲良しだった。
子どもはりんごの木で木登りをしたり、枝にぶらさがったり、りんごを食べたり…
子どももそのりんごの木が大好きで、木も子どもが大好きだった。

 しかし、子どもは成長する。それに伴って考え方も子どもの頃とは違ってくる。
「お金が欲しい」…成長した子どもが言うと、木は自分になっているりんごをもいで、
売ってお金にすればいい、と教える。
それならば、と青年になっていたかつての子どもはりんごをすべてもぎとって行ってしまう。
でも木はうれしかった。

 さらに成長し、すっかり大人になったその子は今度は
「結婚したい、子どもが欲しい、だから家が欲しい」と言う。
そこで木は自分の枝を切って、それで家を建てればいい」と言う。
壮年になった男はその言葉どおり、枝をすべて切り取って、持っていってしまう。
でも木はうれしかった。

 そしてさらに年をとったかつての子どもは「遠くへ行きたいから船をくれ」と言い出す。
木は自分の木の幹を切り倒し、それで船を造れば」と言う。
年取った男はそのとおりに木の幹を切り倒し、船を造って行ってしまう。
でも木はうれしかった。

 そしてさらに長い年月が過ぎ、もうすっかり老人になったかつての子どもが、
また木のもとに帰ってきた。が、もう何もあげられるものが残っていない木は、
自分にはもうなにもないことを告げる。
しかし、老人は「もう、たいして欲しいものはない。
ただ、座って休む場所があれば」と言う。
それなら、と木は精一杯に背筋を伸ばし、
残った自分である切り株に座ってやすみなさい、と言う。
老人はそれに従って座る。
木はそれでうれしかった。

というあらすじです。

考えてみれば、子どもの頃から成長するにつれて、
男は自分勝手で、自分の欲求を満たすために
りんごの木から順番に欲しいものを持っていってしまいます。
しかし木は、一向に自分が「犠牲」になったとは思いません。

まさに「無償の愛」です。
自分の身を少しずつ削られ、
それでも喜びを感じているのです。

言うなれば「受ける喜びより与える喜び」
ということなのではないでしょうか。

「木は それで うれしかった」…と、、、。
この言葉の繰り返しが何とも心に深く残ります。

先日、この絵本を数年ぶりに読み返しましたが
読むたびに新たな発見があります。

あのとき教授がなぜこの絵本を紹介したのか
少し理解しかけてきました。

最近知ったのですが、
村上春樹氏が新訳を出しているそうです。
彼の翻訳も是非読んでみたいと思います。

静岡の塾なら個別指導の学習空間

SNSでもご購読できます。

まずは1週間の無料体験学習をお試しください

コメントを残す

*

CAPTCHA