個別指導塾の学習空間、静岡エリアの望月です!
散策中の公園の木漏れ日から聞こえてくる蝉しぐれは、
暑い夏をより暑くする演出効果抜群です。
泣き方や泣くタイミングが微妙に違うので、
まるでアンサンブルのようです。
学習空間の夏期講習では、毎回作文の練習をしていますが、
先日、小学生の女の子がとても素敵な作品を書いてくれました。
「塾の帰り道に蝉のぬけがらを見つけました。
そして、それを持ち帰り、蝉のことをいろいろ考えてみました。
卵から命がけで生き延びて脱皮したんだなと思うと、
とても愛おしくなり、その姿に感動しました。」
という内容のものでした。
彼女のピュアな感受性と生き物を愛おしく思える優しい心が滲みでていて
思わず「ニンマリ」してしまいました。
「蝉は、春も秋も知らない」という言葉があります。
蝉は夏に生まれて、夏に死んでいくので、当然、春も秋も
知りません。もちろん、今が夏だということも知らずに、
命のかぎり鳴いて、やがて死んでいきます。
人はたいてい、それを知って、蝉を哀れな虫であると思います。
七年も暗い土の中で暮らし、やっと明るい地上に出ても、
たった七日で死んでしまうのだから無理もありません。
しかし、「蝉はたった七日間の輝きのために、七年もの準備期間を過ごす」
ということなのでしょうか。
そうではなく、もし、蝉の一生で最も輝いているのは、
土の中で安らかに過ごす七年間であって、地上に出る七日間は、
子孫繁栄のための最後の奉仕なのだとしたらどうでしょう。
そのような見方をすれば、蝉の一生は、
むしろ、少し羨ましい一生のようにも思えてきます。
「今」という時間を、「未来」のための準備期間と考え、
「未来」のために全力で生きるのも価値ある人生です。
しかし、その結果、神経をすりへらしながら日々を過ごし、
疲弊し切って、一生を終えていくくらいなら、
心に無理をかけず、安らかな日々を積み重ねながら、
ゆっくりと晩年を迎え、
最後に何かささやかな奉仕でもする、、、、。
そんな人生も悪くない。
そういう考え方もなくはない。
そんな気がします。
このブログをみて心のなかで感動しました。
蝉も一生懸命生きているんだなと改めて思わされました。